総領事の見聞録第21回

ベルギーのパラリンピック選手

今回は,総領事の仕事とは直接関係ない方の話題です。9月末のある日,私の前任地のベルギー在住のジャーナリスト・栗田路子さんから,メールが届きました。我々の共通の友人で,パラリンピック選手として活躍したベルギー人のマリーケ・フェルフールトさんが10月3日からポートランドに来るというのです。
 

(私の妻久乃が手作りした)「生涯の金メダル」を持ったマリーケさん

マリーケさんは今40歳。元車椅子陸上選手(T52車椅子)の選手で,ロンドン・パラリンピックで金・銀メダルを、リオでは銀・銅メダルを獲得しました。14歳のときに進行性の脊椎変性疾患を発症してから下半身不随となった彼女は,病に負けじと車いすスポーツを開始し,トライアスロン,短距離競争の国際大会で数々の輝かしい記録を打ち立てました。しかし病状は悪化の一途をたどり,現在では胸から下の神経が麻痺しています。叫んでしまうほどの激痛が頻繁にあるためモルヒネ投与を続けており,一晩中眠れないかと思えば,3日間続けて昏睡することもあるそうです。華々しい経歴を持つこのアスリートは,現在,激しい痛みと病の進行を相手に闘う毎日を過ごしています。

 
写真提供:マリーケ・フェルフールトさん

彼女はリオ・パラリンピック後に,現役からの引退を表明するとともに2008年に安楽死の希望を登録していたことを公表して注目を集めました。ベルギーは,ヨーロッパの中ではオランダ,ルクセンブルクとともに,安楽死を合法化しています。ベルギーの法律で認められている安楽死とは,判断力のある本人が、前もって、安楽死の希望を所定の手続きに従って書面で提出していることを前提に,3人の互いに関係のない医師が,その本人が医学的に見て回復の見込みがなく、精神的・肉体的に耐えがたい苦痛にあるということを認めた場合に限って、医師が薬物投与などによって安楽死を実行しても刑法上の罪に問われないというものです。登録後,マリーケさんは3人の医師から独立に判断を得たことで、自分が決めればいつでも安楽死を遂げられることが可能となりました。(なお,米国では安楽死の合法化はオレゴン州から始まり,2009年からはここワシントン州でもベルギーと同様の厳しい条件で,余命6ヶ月以下の人の自由意志による安楽死が合法化されているようです。)

逆説的なようですが,命を擦り減らすような苦しい状況の中にあっても、安楽死の許可を得たことで彼女はむしろ生きる力を得たのだそうです。「自分の命の長さは病には決めさせない。自分自身が決める!」と思えるようになったことで,人生でやりたいことに向かって前向きに進めるようになったというのです。マリーケさんは意志が強く,温かさとユーモアのある典型的なフランダース人。そんな彼女の10代の時からの夢は,日本に行くことでした。ティーンエイジ時代に自分の部屋を日本のもので一杯に飾りつけていたというマリーケさんは,2017年4月,長年の夢が叶い,15日間の日本旅行を実現させました。
 
 
写真提供:マリーケ・フェルフールトさん

マリーケさんと私の出会いは2017年の1月,ベルギーのパラリンピック委員会が開催した2020年東京大会への決起集会でした。ANAがスポンサーとなって日本旅行に行けることになったと話してくれましたが,日程や旅行先などは殆ど白紙でした。深刻な持病を持ち激痛があるなかでの旅行は、健康な人がする旅行と同じという訳にはいきません。医療的なサポートの他、緊急時のバックアップ、車椅子でも不自由ない宿泊先や移動方法など、色々なクリアすべき問題が山積です。栗田さんと私から,在京ベルギー大使館や日本在住のベルギー人にも働きかけて協力していただき,東京から広島を往復するマリーケさんの日本滞在プログラムができました。モルヒネや酸素ボンベなど30キロもの装備品を携えてマリーケさんに付き添ったのは,看護師で親友のアンさんです。マリーケさんは,憧れていた日本での思い出を、帰国後に出版した自叙伝『MARIEKE VERVOORT DEANDERE KANT VAN MEDAILLE /Karel Michiels/2017』の最終章に記しています。
 

 
今回、マリーケさんがポートランドを訪れた最大の目的は、現役時代からのスポンサーであるスポーツ用品会社のNike本社で開催される講演会で自身の人生を語ることです。マリーケさんは多くの人に生きることの尊さや,死と向き合うことの大切さを教えてきました。確実に忍び寄る死の苦しみと戦い,生きる手ごたえを求め続け,笑顔とジョークを忘れないマリーケさん。そして,彼女の立場と苦しみを理解し,温かく見守る人々。生きることの尊さを考えさせられたひとときでした。
 

ポートランドにて、アンさん(一番右)、ベルギー人夫妻と一緒のマリーケさん

ポートランドでは,マリーケさんとアンさん,そして滞在先のベルギー人夫妻とともに,日本庭園に行きました(ここは完全なバリアフリー化によって車椅子の方も気軽に散策できる庭園です)。帰り際に、今度はベルギーで会おうと言うと,彼女はにっこり首を縦に振ってくれました。その時はきっと、今回連れて来られなかったマリーケさんの介助犬・ZENN(禅)と新入りのマーゼルにも会えることでしょう。そして顔をベロベロ舐められながら、また再会する喜びを分かち合いたいと思います。(最近,子犬の登場によりマリーケさんの生活に変化が現れたことについて栗田さんがペンネームで書いた記事もご覧ください。https://this.kiji.is/374377253406311521?c=39546741839462401
 

マリーケさんとZENN