山田総領事(2017.6~2020.7)の見聞禄

平成29年9月21日

神戸市とシアトル市の姉妹都市60周年行事:シアトル・海祭り

2017年は、神戸市とシアトル市が姉妹都市提携関係を結んで60周年になります。1957年10月に両市が合意した時、これは両市のいずれにとっても初めての姉妹都市でした。当時は日米間の激しい戦争が集結してまだ10年余りで、両国の国民の間には様々な感情のもつれがありました。当時のアイゼンハワー・アメリカ大統領は、1956年、市民同士の国際親善を提唱し姉妹都市関係の構築を呼びかけ、これに呼応して米国とヨーロッパや日本などとの間に姉妹都市関係が急速に誕生しました。神戸とシアトルの姉妹都市関係は、日米で結ばれた最も古い姉妹都市関係の一つです。その後、神戸港とシアトル港も1967年5月に姉妹港提携関係を結びます。今年は、両市にとって60周年、両港にとって50周年の記念すべき年なのです。

シアトル市が結んだ21都市との姉妹関係の中で、神戸市との関係は一番古いだけでなく、最も活発で成功しているもののようです。両市は相互のジャズフェスティバルへの参加や市役所間の交流など、恒例の交流を続けています。両市にはそれぞれ交流協会があり、連絡を取り合っています。神戸市はシアトル市に駐在事務所を設置し、染谷哲也さんが所長を務めています。兵庫県もワシントン州との間に1963年に姉妹州・県の関係を結び、兵庫県内の13の市がワシントン州の姉妹都市関係を締結しています。
 

1995年の阪神淡路大震災で神戸市が壊滅的な打撃を受けた時には、シアトル市と市民は神戸に大きな支援の手を差し伸べてくれました。シアトル市出身で、現在、シアトル港湾局の国際ビジネス儀典調整官(International Business Protocol Liaison)を務めているカリン・ザウグ・ブラックさんが、当時,JETプログラムで当時神戸市役所に勤務しており、得意のドイツ語を駆使してスイスから派遣された災害救助犬チームの通訳として活躍しました。その後も今日に至るまで両市の提携強化を支えてきた彼女は、後任でシアトル市国際関係課長をしているステイシー・ジェリックさん、シアトル神戸姉妹提携委員長のベンジャミン・エリクソンさんらとともに、現在,両市の友好を支えるシアトル市側の中心人物です。カリンさんのお父さんにご挨拶した時、「カリンの父」とだけ日本語で書かれた名刺を頂戴しました。日本の関係者にはそれで必要な情報が十分伝わっていることで,神戸市とシアトル市の交流の深さを感じました。

60周年を記念して、5月には日系人のブルース・ハレル・シアトル市議会議長やカレン・フレーザー前上院議員らが神戸市を訪問しました。7月には、玉田敏郎副市長、安達和彦市会議員団長ら7名の市会議員、神戸市に拠点を置く民間企業の幹部、親善大使の牟田神春乃さん、第18回神戸新開地ジャズヴォーカルクィーンコンテストで優勝したYukaさんら、30名以上からなる親善代表団がシアトル市を訪問しました。玉田副市長一行は、今日「ITの首都」,「人工知能の首都」として世界の注目を集める都市となったシアトル市内を視察したほか、神戸市の投資環境の魅力を説明するビジネス投資セミナーを実施しました。神戸市は1995年の大震災後、ライフサイエンス、医療・薬品・福祉関係を経済復興の重点産業として位置づけ、これらの分野で今や300以上の企業が拠点を置くハブ(中核都市)になりました。シアトル市においても、ワシントン大学はアメリカのライフサイエンスの最重要拠点の一つであり、医療・薬品も重要な産業です。また、ここにはビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団やPATHをはじめとする国際保健分野で指導的役割を果たす重要なNPOが複数所在しています。両市はいずれも経済的に繁栄し、丘に囲まれた美しい港町で、開放的で前衛的な文化を持ち、災害対策や環境・衛生問題など共通の課題に取り組んでいます。
 
提供:(Brian Chu Photography)

神戸市の一行は、参加した様々な行事を通してシアトル市民に両市の友好を強く印象付けました。シアトル市と港は一行を最大の歓迎で迎え、様々な行事への参加がアレンジされました。一行は1953年から続くシアトル市恒例の一大イベント「トーチライト・パレード」に登場し,車から沿道の市民に手を振る様子が生中継のテレビで紹介され,沿道の人々から大きな声援を受けていました。日曜日にはホームで行われたマリナーズのニューヨーク・メッツ戦の始球式をマリナーズのユニフォームを着た玉田副市長が務めました。月曜日にはYukaさんがジャズ・アレーで演奏会を開催し、満員の会場ではシアトル市の本年のジャズ・オーディションの高校生の優勝者であるティア・フリーマンさんも友情出演して一緒に歌いました。一行はシアトル市の「海祭り」週間の様々な行事に参加して、市民が皆で参加するアメリカ的な楽しみと思い出の祭典を満喫されたようでした。
 

60年間の姉妹関係史上では、神戸市とシアトル市はとても価値ある重要なものを交換してきました。神戸市から折に触れて贈られた様々な贈り物の中で、イチロー選手はシアトル市民にとって最も価値あるものであると聞きました。イチロー選手が2000年,神戸市に本拠地を置くオリックス・ブルーウェーブからマリナーズに移籍してきた。今年3月、古巣のセーフコ・フィールドでマリナーズと対戦した際、イチロー選手は観客総立ちの大歓迎を受け、ホームランを打って歓迎ぶりにお返ししました。私は、再びイチロー選手がマリナーズのユニフォームを着て試合をしてくれないだろうかと心待ちにしているファンの一人です。