山田総領事(2017.6~2020.7)の見聞禄
平成29年12月5日

442連隊
11月11日は退役軍人の日の祝日です。シアトルには日系米国人の元軍人、いわゆる「二世ベテラン」の方々で組織する二世ベテランの会があります。前回書いたとおり,第二次大戦中、外見が日本人と異ならないという理由で「敵性国民」と位置付けられ、戦争終了まで強制収容所に隔離された日系米国人が約12万人いました。彼らのうち、青年の多くは大戦中に志願して米国陸軍に入隊しました。彼らは,将校以外は日系米国人だけからなる442連隊に組み込まれて、欧州戦線でナチス・ドイツ軍との間に壮絶極まる戦闘を行いました。442連隊は多大な犠牲者を出しながらも,ドイツ軍に包囲され殲滅寸前の米軍部隊を解放するなどの戦功を上げ、やがて米国軍の史上、最も多くの勲章を受けることになります。日本ではほとんど知る人がいませんが、ダッハウのユダヤ人強制収容所を解放したのもこの日系米国人部隊です。1945年当時、これらの兵士の家族が、依然として米国内の僻地で、強制収容所に隔離されていたというのは歴史の皮肉です。また、日本語に堪能だった青年たちは、太平洋での日本軍との戦いにおいて軍事情報要員として勤務し、戦後には通訳などとして日本の占領行政において重要な役割を担いました。
このように、自分たちが愛国心ある忠実な米国人であることを証明するために目覚ましい働きをした日系米国人の兵士たちでしたが、戦闘が終わって帰国してみると、強制収容によって財産と職を失い、一から生活を立て直さなければならない現実が待っていました。第二次大戦の直後にも偏見と差別の残っていたワシントン州では、彼らは米軍の除隊兵からなる通常の軍人会に加入することを拒否されました。このため、日系米国人の軍人が互助組織として設立したのが「二世退役軍人会」(NVC: Nisei Veterans Committee)だったのです。
シアトルに来てから、私は日系米国人やNVCが果たした歴史的な役割に関心を持つようになりました。6月2日に着任したので、メモリアルデーの式典に間に合わなかったことも気になっていました。そこで、7月にはNVCホールを訪問して442連隊を始めとする二世ベテランの貢献について教えていただきました。シアトル市内のレイクビュー墓地にある日系戦没者慰霊碑に献花し,最初に日系米国人の収容が行われたベインブリッジ島にある記念施設を訪問しました。9月2日にピュアラップで開催された日系米国人強制収容75周年の式典では、歴史を記憶しそれを次世代に伝える日系米国人の姿勢から、貴重な教訓を学びました。そして、NVCに提案して、会員の皆様全員にお声がけして、9月30日に公邸でレセプションを開きました。

日系米国人は、戦時中は強制収容に耐え,過酷な戦役を通じて米国への忠誠を示し,戦後は誠実に勤労することで生活を再建し、差別と偏見を克服して今日の繁栄を築きました。そういう彼らのひたむきで前向きな姿勢が、今日,一般の米国民が日本に寄せる信頼と友好の土台になっています。現在の強固な日米関係の背景には、実はこのような日系米国人の貢献があるのです。
一方で,米国人である彼らにすれば,日本が真珠湾で奇襲攻撃をかけたために自分たちがそれまで築き上げた生活が滅茶苦茶になってしまったという思いがありました。このため、日系米国人は,日本文化に対してはアイデンティティーを感じる一方で、長い間,日本が戦後に民主主義国家となっても日本という国との関わりを素直に受け入れにくいという複雑な思いをする人も少なくなかったようです。
退役軍人の日の直前の8日にシアトル・ロータリークラブで行われた定例昼食会では, Dale KakuさんがLori Matsukawaさんを聞き役として442連隊や日系米国人強制収容について話した後,250名を超える会員が総立ちで敬意を表しました。
日系米国人の重要な役割や複雑な感情が日本国内ではほとんど認識されていないと思います。これから、自分なりにできるだけ多くの日本人に知ってもらえるように頑張りたいと思います。
