山田総領事(2017.6~2020.7)の見聞禄

2018/10/22

草の根サミットとジョン万次郎

9月18日から24日まで、ワシントン州に日本各地から老若男女139名の方々がやってきました。今年が28回目となる「日米草の根サミット」です。これは日米経済摩擦の激しかった1991年,当時の日本の政治家が,政治や経済の情勢に関係なく日米の普通の人々の交流を促進する必要性を唱えたことから始まったプロジェクトで,実施団体は,ジョン万次郎・ホイットフィールド記念国際交流センター(財)です。毎年,日米交互に開催されており、昨年は奈良県、そして今年はシアトルを中心とするここワシントン州の日米協会が準備を取り仕切りました。
 

写真提供:ワシントン州日米協会

草の根サミットは,1841年に太平洋で遭難した万次郎と彼を救った捕鯨船の船長ウィリアム・ホイットフィールドの交流からヒントを得ています。当時14歳だった万次郎の聡明さに感銘を受けたホイットフィールド船長は,彼をマサチューセッツ州フェアヘイヴンに連れ帰ります。船長の養子となって,英語のほかさまざまな分野の学問を身につけ、アメリカの文化や政治理念も学んだ万次郎は、そこで10年間滞在した後で日本に帰国します。そして、数年後に日本の開港を要求するフィルモア大統領の親書を携えたペリー提督が黒船4隻を率いて来航した際、万次郎は徳川幕府にあって米国についての貴重な情報を提供します。彼から西洋の文物や制度について学んだ幕末の志士や知識人は多く,明治維新へと続く歴史の歯車が回るうえで彼の果たした役割はとても大きなものでした。ジョン万次郎とホイットフィールドの友情は、その後170年以上にわたって彼らの家族に受け継がれています。
 
  
左:ホイットフィールド船長(写真:Wikimedia Commons)、中央:スコットフィールド氏(左)と中濱京氏(右)、右:ジョン万次郎(写真:Wikimedia Commons)

そして今年の草の根サミットにも,こういった歴史上の人物の子孫の方々が集まりました。万次郎の5代目の子孫の中濱京さん、ホイットフィールド船長の6代目の子孫のスコット・ホイットフィールドさん、そしてペリー提督の末裔でその名もマシュー・ペリーさんたちです。彼らと挨拶をした私は、タイムトリップをしたような錯覚にとらわれました。マシュー・ペリー博士は生物学者です。1853年に浦賀に上陸したペリー提督は来航前に日本に関するあらゆる本を読んで情報を集めたと言われています。知的好奇心の強い血は家系図の中で脈々と続いているようです。
 
  
左:マシュー・ペリー提督(写真:Wikimedia Commons)、右:子孫のマシュー・ペリー博士と私

歓迎式典の翌日,139人の日本人参加者はワシントン州の14の市のホストファミリーに迎えられ,彼らのもとで3泊のホームステイをしました。参加者には英語が得意でない人も沢山いましたが,彼らはホストファミリーの案内で町を歩き,彼らの家で寝泊まりして食事や会話,そして遊びを楽しみ,普通のアメリカ人の生活を体験したのです。日曜日に行われた閉会式典では,ホストファミリーになってくれた米国の家族が,小さな子供連れで沢山お別れのために集まっていて,日本からの訪問者たちだけでなく,受け入れたアメリカ人たちも一緒に過ごした日々を楽しんだことがよく見て取れました。2011年の震災被害を受けた福島県からは,毎回中学生が参加しています。84歳の京都から来た御夫人は,私に「これから頑張って英語を話せるようになりたい」と話してくれました。脱帽です。

草の根交流といえば,第2次大戦後,アメリカのアイゼンハワー大統領のイニシアチブで始まった世界中の国どうしの姉妹都市関係樹立に触れないわけにはいきません。ワシントン州の自治体には日本の自治体との間に37の姉妹関係があり,ワシントン州が外国との間に持つ姉妹と関係の中で最多です。この一つのことからも,日本との関係がいかに深いかがご理解いただけると思います。
 

写真提供:ワシントン州日米協会

草の根交流に参加した人々は外国の生活に触れて視野が広がり,新たな友人と豊かな経験を得ることができます。そのような経験をした人の多い自治体は,活力がもたらされます。これはどんな国が相手でも言えることですが,日本とアメリカの草の根交流には,特別の利点があります。第一に,それぞれがお互い,子供を安心して滞在させることの出来る国であることです。第二に,雇用,健康,環境,教育,治安など,日米の人々がそれぞれの生活の中で解決すべき問題は共通していますが,文化や国民性が大きく異なるからこそ相手から学べることが多いのです。

最近,来年4月から,デルタ航空が関空に,そして3月末に日本航空が成田に就航することが発表されました。現在ある全日空とデルタ航空の成田便と合わせ,日本とシアトルの距離がより一層近くなります。これが一層観光客や草の根の交流を増やすことを願っています。ジョン万次郎の時代にはスカイプもインスタグラムもありませんでした。今は瞬時に外国の人と連絡し合える時代になりましたが,やはり人と人が対面で,じっくり時間をかけて築き上げる人間関係は特別だと思います。
 

写真提供:ワシントン州日米協会