山田総領事(2017.6~2020.7)の見聞禄

平成31年1月7日

 タチ・ヤマダさんの叙勲

 

ガーナにおける山田博士(写真提供:山田博士)
 
12月6日,山田忠孝博士が日本政府から旭日重光章という勲章を受賞されたことをお祝いするレセプションがシアトルの公邸で行われました。彼は世界ではむしろタチ・ヤマダさんという呼び名で知られています。顕著な功績に鑑み,山田博士は約一ヶ月前に皇居で安倍晋三総理大臣から勲章を直接授与され,天皇陛下に謁見されました。
 
 
(左)ビルゲイツ氏のビデオメッセージ、(右)レソトでのゲイツ氏と山田博士(写真提供:山田博士)
 
シアトルでのお祝いには,山田博士の家族の他、彼が今まで働いた様々な組織の昔の同僚など,約80名が集まりました。ミシガン大学,グラクソ・スミス・クライン製薬会社,ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団,武田製薬などの団体で活躍されてきた山田博士ですが,その仕事を一言で言えば,“医療の恩恵に浴することの出来ない人たちの健康のために尽くされてきた”,ということでしょう。ゲイツ財団ではグローバル・ヘルス部門の総裁を務められました。ビル・ゲイツさんはこのレセプションに向けてビデオ・メッセージを送ってくださり,「おめでとう。メッチャ受賞に相応しいよ!」と述べられました。またビル・クリントン元大統領は祝意の手紙を山田博士に送られました。山田博士は現在,クリントン健康アクセスイニシアチブの総裁を務められています。
 

(左)重光章勲記、(右)ビル・クリントン元大統領からの祝辞
 
博士は1945年6月生まれ。それは第二次世界大戦の最後の日々で,米軍機の爆撃を受けた東京は炎に包まれていました。食料その他の必需品が不足しており,山田博士は生まれたときにたった1.3キログラムしか体重がなく,周りからこの子はたぶん生きられないだろうと思われていたということです。しかし,彼は生き延び,15歳の時に,よりよい教育を受けるため米国に移住しました。お母さんが日系米国人だったので,生まれながらに米国籍も持っていたのです。日本を発つとき、山田博士は,お父さんから,「生まれた国のことを決して忘れず,いかに貢献できるかを考えよ」と言われたそうです。山田博士は「その時,自分はもう日本に帰らないだろうと感じていたが,父親の言葉は常に脳裏を離れなかった」ということです。
 
すでに,このコラムの第二回目で,山田博士が野口英世アフリカ賞やグローバル・ヘルス・イノヴェイティヴ・テクノロジー・ファンド(製薬会社が最貧国の人々のため革新的医療に取り組むことを促進する官民協力メカニズム)の創設に中心的な役割を果たしたことに触れました。ミシガン大学に在籍中には,後年に日本の消化器病学会のリーダーとなる学者を数多く育てました。
 
山田博士はまた,2008年に行われた洞爺湖G8サミットの際に採択されたグローバル・ヘルス行動計画の作成に際して,決定的ともいえる役割を果たしました。当時,日本政府はG8の議長国として,世界の指導者にグローバル・ヘルスへの関心を喚起したいと考えていました。ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を代表してサミットの準備段階の議論に参加した山田博士は,発展途上国の健康問題に対処するには総合的なアプローチが必要であることを切々と説きました。彼のおこなった諸提案がその後の日本政府のG8への提案のもととなりました。G8の首脳会合で採択された合意文書は,世界の人々がよりよい健康状態を得て維持するためには,社会の中での保健のシステムや制度が必要であることを強調しており,これがその後の国際保健分野での議論の基調を設定したのです。
 

野口英世博士(Wikimedia Commons)
 
レセプションでのスピーチの中で,山田博士は野口英世博士の人生に触れました。ご存じのとおり,野口博士は約100年前に熱帯病の研究に命を捧げた医師で,ガーナで黄熱病の研究中に罹病して亡くなりました。山田博士は,10年ほど前,ブルキナ・ファソで髄膜炎Aワクチン(このワクチンにより、タイプA髄膜炎をほぼ完璧に予防できるそうです)を7歳の女の子に注射しながら,野口博士の人生のことを思い出していたと話しました。山田博士と野口博士は,いずれも日本から米国に移住し,そこで医学を学び,医療を通じて貧しい人たちのために働くことに情熱を注ぎ,何百万人もの人の健康のために巨大なインパクトを与えました。そしてまた,両博士とも(野口博士は死後に)同じ勲章を日本政府から与えられたのです。
 

山田夫妻(右)と私と妻(左)
 
科学者たちは仕事に取りかかると,何日も続けて没頭します。祝辞を述べた客の一人は,奥様のレズリーさんがいなければ,山田博士も仕事にこれほど時間と力を注ぐことは出来なかっただろうと述べました。レズリーさんは,私に,勲章受章のための日本への旅行は忘れられない経験になったと話してくれました。勲章受章者が夫妻で天皇陛下の謁見に招待されるのは,もしかしたらあまり語られることのない配偶者の支えに敬意を表してのことなのかもしれません。山田博士にとっては,この叙勲は,「生まれた国への貢献をする」という父親への誓いを果たしたことの,何よりもの証となりました。
 

日本での伝達式に参加した勲章受章者