総領事の見聞録第35回

ローリ・マツカワさんの引退


ローリ・マツカワさん(右)と私(左)

ローリ・マツカワさんは、ここワシントン州で最もよく知られた日系アメリカ人です。ワシントン州の大人で彼女の写真を見て誰だかわからないと言う人はいないのではないでしょうか。その理由は、彼女がKING5というワシントン州で最有力のテレビ局(NBC系列)の夕方のニュースのレポーター兼アンカーを務めていたからで、午後5時、6時半、11時にテレビをつければ毎日彼女を見ることができました。日本の総領事としては、日本人の名前と顔をもったアメリカ人が、重要なテレビ局の主要ニュース番組で活躍している姿を見るたびに誇らしく嬉しく感じていました。

そのローリ・マツカワさんが、2019年6月14日、36年間勤めたKING5を引退しました。彼女の引退は、ここワシントン州で大きなニュースとなりました。引退当日にはシアトル・タイムズが2ページにわたって彼女のジャーナリストとしての人生を紹介する記事を書いたほか、KING5は彼女が登場する最後となる5時のニュースが終わったあと、7時から一時間もの特別番組を流しました。日系やアジア系のワシントン州の新聞各紙が特別記事を掲載したことは言うまでもありません。なぜ一人の女性ジャーナリストの引退がこれほど大きなニュースになるのでしょうか。

その答えは、彼女の経歴、人柄、そして仕事の内容にあります。つまり、彼女の人生そのものが社会にインパクトを与えたからだと言えるでしょう。


マツカワさんはハワイ生まれです。1974年、大学で勉強するための奨学金を得たいと思って応募した全米ミスティーンエイジャーのコンテストで優勝しました。その際に受けたテレビ・インタビューが、彼女がジャーナリズムの世界に関心を持つきっかけとなったそうです。スタンフォード大学時代にも学生新聞で記事を書いていた彼女は、卒業後、カリフォルニア州のテレビ局に入社します。そして、会社でディレクターをしていたご主人のラリー・ブラックストック氏と知り合い、1980年にシアトルに移り結婚。シアトルでは別のテレビ局に籍を置いた後、1983年にKING5に移りました。同社で最初は地元ニュース特集番組を担当し、その後、朝のニュース、週末のニュースのアンカーを次々と務め、2014年から夕方のニュース・アンカーになりました。

こう書くと順風満帆のキャリアのように見えます。しかし、シアトル・タイムズによれば,マツカワさんがテレビ番組に現れたころは、アジア系の女性でニュース番組のアンカーを務める人は極めてまれで、有色人種の女性にアンカーを任せることは大きな実験と考えられるような時代だったようです。1991年のパール・ハーバー襲撃50周年の際には、「なぜ日系アメリカ人がこの話題を報道するのだ」という抗議の電話がかかってきたそうですが、その際、局の上司がマツカワさんを守って毅然とした対応を取ったことで、彼女は勇気づけられたといいます。マツカワさんは、1985年、アジア系アメリカ人ジャーナリスト連盟のシアトル支部の共同創立者となり、ほどなくしてジャーナリスト志望の有色人種学生への支援を目的とする米国北西部地域有色ジャーナリスト奨学金を創設します。テレビ局では、ジャーナリストを目指すアジア系学生をテレビ局の現場で指導する彼女の姿がいつも見られたということです。
 

KING5ニュースでの放映

番組制作の面でもマツカワさんはインパクトを残しました。彼女は2017年に、第二次大戦中に12万人もの日本人移民及び日系米国人が強制収容される原因となった大統領令第9066号の発令75周年を記念するシリーズ番組「自国で囚人となった人たち」を制作して、収容所での生活だけでなく、戦後の生活の苦労や、名誉回復のための日系人の闘いについても紹介しました。1995年にワシントン州産リンゴの日本市場への再導入やその他の貿易について取材し、2011年の東日本大震災のあとには東京から震災直後の様子を伝え、2017年には復興の様子を伝えるため神戸と福島を訪問するなど、KING5で日本を紹介する番組も数多く残しました。
 

2011年、東日本大震災犠牲者を追悼して黙祷を捧げる際に、
シアトルセンターで神戸の鐘を鳴らしているマツカワさん

マツカワさんは、ジャーナリストとしてだけでなく、日系そしてアジア系のコミュニティーの活動においても中心的な存在です。彼女は2003年に、他の日系米国人リーダーたちとともにワシントン州日本コミュニティー文化センター(JCCCW)を設立します。また、多くの日系、アジア系の団体から会合の司会を頼まれて引き受けていました。人と関わることが好きで誰にも温かく接することのできる人で、またそういうオーラが人を引き付けるのです。私もこの2年、さまざまなコミュニティーの集まりの場でマツカワさんの姿を見かけてきました。

ニュース・アンカーとしても、事実の報道をするだけでなく、常に冷静なバランス感覚と人間的な温かさを感じさせる姿勢が、マツカワさんのニュースを見たいという視聴者を増やしたのでしょう。引退前日の13日の夕方、KING5の中で送別パーティーが行われ、私も出席しました。そこでは社長以下、今と昔の同僚たちが次々とマイクを手にして、引退した人は懐かしい思い出を笑い話の形で、若い人はいかにマツカワさんに育ててもらったかを熱く話していました。マツカワさんは本当に同僚たちから愛されているのだなとつくづく感じた次第です。
 

KING5でのマツカワさんの送別パーティー

総領事として赴任してからの2年間、私もいろいろお世話になっています。一年半前、マツカワさんの友人である藤崎一郎・元駐米大使がシアトルに来られた時のこと、公邸でディナーをしました。平日だったので、マツカワさんは番組収録の後、少し遅れて到着され、楽しく話したあと、夜11時からのニュース番組に出るためデザートを召し上がる前に局に戻られました。本当に大変な仕事だと思いました。今度お招きするときには、デザートまでゆっくりお楽しみ頂けることと期待しています。引退後には、今まであまりできなかった旅行などもして自由な時間を楽しみたいとインタビューで述べていますが、このまま静かに引退するような人とも思えません。ローリ・マツカワさんが今後どのような活動をされるのか、皆が注目しています。