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シアトル日本語補習学校中等部・高等部 入学式祝辞(平成24年4月7日)



     お早うございます。

     本日、入学式を迎えられた中学一年生、高校一年生の皆さん、ご入学おめでとう。

     来賓を代表して、一言ご挨拶を述べさせて頂きます。

     石黒校長、中本事務総長、教職員の皆様。桜の花ほころぶ中、今年もまた新入生を迎えました。シアトル補習校は、生徒の学力水準、教育内容の多様性で、全米でも屈指のレベルにあると聞いています。授業は週1度に過ぎないにも拘らず、高度な水準を維持しているのですから、教職員の皆様に置かれては、並ならぬご腐心があるものと拝察します。今後とも生徒達のご指導、宜しくお願いします。
     保護者の皆様。お子様のご入学、おめでとうございます。中学・高校時代は多感な年頃であり、お子様は希望と不安との間で心揺れつつ、学業の進路を探っていく時期にあります。現地校と補習校との2重生活は、チャレンジであると同時に大きなチャンスでもあります。ご家庭におかれては、お子様を励ますと共に、温かく見守り、しっかりと支えて頂ければと思います。
     近藤商工会会長、安藤学校運営委員長はじめご来賓の皆様、皆様には、補習校の運営を担って頂き、また幅広い視点から教育現場に、貴重なアドバイズを頂いております。さらにコミュニティ活動など、ベルビュー教育委員会との橋渡しをして頂いております。今後とも、力強いご支援を賜りたく、宜しくお願いします。

さて新入生の皆さん。入学にあたり、今日は『べき』『たい』の話をします。『べき』『たい』、一体それは何のことでしょうか?

     日本の学校では、授業の始まりに、教室では生徒一同、『起立、礼、着席』で先生を迎えるところが多いのではないのでしょうか? 授業の終わりにも今一度、生徒一同、『起立、礼、着席』で先生を教室から送り出す学校が少なくないと思います。この入学式でも『起立、礼、着席』の儀礼が行われていますね。  
『起立、礼、着席』という所作には、①授業には、居住まいを正して臨むである。②先生には、敬意を払う『べき』である。③教室では、生徒は一同規律を保つ『べき』である。こうした日本の倫理観が反映されています。生徒達一同の礼節ある振る舞いは、日本の学校教育の美しいところです。オーッ、今私がお話した中に、既に『べき』が3つ出て来ました。
     日本の学校教育の場で、誰もが考えていることは次の3つでしょう。①勉強はしっかり取り組む『べき』である。②良い友達を作る『べき』である。③クラブ活動とスポーツは頑張る『べき』である。おやおや、またまた『べき』が3つ出て来ました。
『べき』は、日本の学校、日本人、日本社会を貫く基本的な考え方なのです。①生徒はかくある『べき』である。②日本人はかくある『べき』である。③日本社会はかくある『べき』である。こうした『べき』の倫理観に基づき、私達日本人は、目標を定め、自分達を律し、自分達に義務を課すことを通じて、自分達そして日本社会を大きく高めてきました。
     但し、『べき』には少し堅苦しいところがありますね。①自分の個性を抑える。②友達や周囲といつも協調する。③目標に向けてたゆみなく努力を続ける。となると、少しくたびれてしまうかも知れません。また『べき』でない人達を見かけると、①道から外れる『べき』でない、②秩序は乱す『べき』ではない、③そんな人達を見かけたら注意する『べき』であると、外れた人達を非難し、さらには攻撃してしまうことにもなります。その結果、自分達でお互いを縛ってしまい、自縄自縛に陥りかねません。今の日本国内がそうでなければ良いのですが・・・。

     これに対して、米国では、生徒も先生も父兄も、誰しも『べき』といった倫理的義務感に縛られたい」とは考えてもいないでしょう。先生が授業のために教室に入るや否や、生徒達が「Everybody!Stand up, bow and sit down!」のcallの下に一糸乱れぬ行動を示したら、先生は仰天して「ここは米国の教室ではない」と逃げ出してしまうかもしれません。
     その前にそもそも、生徒から「一同、礼儀を尽くし『起立、礼、着席』の所作で先生を迎えようと」と提案があっても、生徒達の間からは「What’s for ?」「なぜそんなことをしなければならないのだ?」という声が次から次へと出てくるに違いありません。礼儀を尽くして先生を迎え『たい』のであれば、『起立、礼、着席』をし『たい』生徒がやればよい。③自分はし『たい』とは考えないないのでしない。オーッ、今私がお話しした中に、既に『たい』が3つ出て来ました。米国は『たい』の社会なのです。      米国は、生徒それぞれが自分の考えで行動する自由の社会なのです。したがって授業風景をみても、生徒達の服装も持ち物もヘアー・スタイルも多種多彩。授業を受ける態度も一様ではない。生徒各人てんでバラバラ、勝手なことをやっているようにすら見えます。しかし、興味を持ったことには、すべてを忘れたように、一心になって向かっていく。
     米国の学校教育の場では、①勉強は、やり『たい』テーマを、やり『たい』時に、やり『たい』ようにやる。②クラブ活動は、気の合った友達と楽しむ、③スポーツは、汗を流して打ち込む、これが生徒達の生活でしょう。『たい』の学校社会ですから、男子生徒は、女の子にもて『たい』。女子生徒は、男の子の気を引いてみ『たい』。こんな『たい』も随分と見かけますね。自由にのびのびとやり『たい』ことをやって個性を伸ばしていく。これが米国の学校教育、米国の社会です。

     さて皆さん。皆さんは、weekdaysに米国の現地校に通い、土曜日には補習校に通われます。米国ののびのびとした教育に浸る一方で、日本の規律ある教育を受ける機会にも恵まれています。皆さんは、日本人として、礼儀正しく規律を守り、誠実である『べき』です。この特性を身につけなければ、日本人とは言えません。同時に、皆さんには、この米国の地で生活しているのですから、米国の生き生きとした空気を大きく吸って、のびのびと個性を伸ばして頂き『たい』と願っています。
     『べき』『たい』『たい』『べき』。この2つの動機づけは、これからのグローバリゼーションの時代を生きていく皆さんに必要な生き方です。日本人らしく生きていくだけでは、これからの時代を生き抜いていくことは出来ません。日本にも将来が拓けません。その上で、米国人のようにとらわれず、好きなことに打ち込んでいく生き方を身につけて頂ければと思います。皆さんは、ここシアトルで双方を身につける絶好の立場に置かれています。『世界の中の日本人』として生きていくべく、しっかりと力を蓄えて頂きたいと願っています。

     以上を以って、私のご挨拶とさせて頂きます。

     本日はおめでとうございました。