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イベント報告

シアトル港湾局による東日本大震災追悼キャンドル・サービス (3月31日)

3月31日、シアトル市内フィッシャーメンズ・ターミナルにおいて、東日本大震災の犠牲者を追悼し、被災者や被災地域への支援を訴えるシアトル港湾局主催の追悼キャンドル・サービスが、シアトル港湾局コミッショナーのビル・ブライアント氏の司会で行われました。

シアトル港は、東日本大震災で被害を受けた宮城県の塩釜港、石巻港、気仙沼港と、1990年より友好港(friendship port)の関係にあります。式典には、港湾関係者を中心として100名以上が出席しました。

式典の中で太田総領事は、「今回の震災に際し、米国民の寄せられている弔辞に心から感謝申し上げます。塩釜市、石巻市、気仙沼市の被災状況は酷く、心がつぶれるほどです。(JETプログラムで石巻市に滞在していて犠牲となったバージニア州出身のテイラー・アンダーソン氏に言及しつつ)日本政府・日本国民は、皆様方と共に、今回の震災でお亡くなりになった全ての方々に哀悼の意を表します。地震発生当初から、災害救援チームや原子力規制委員会の専門家派遣、米軍の派遣(Operation Tomodachi)等様々な方法で日本を支援して下さっている米国に対して、また、多くの方々や企業から義援金が寄せられていることに対して、心より感謝申し上げます。日本は、相互扶助の精神と秩序立った行動で、かつてないほど全国民が一致して取り組んでいます。被災地の復興には数年の月日と多くのエネルギーを要するでしょうが、わが国民は必ずやこの試練を克服できるものと信じております。」と挨拶を述べました。(挨拶の全文はこちら

その他、式典において、ピート・クヌーツソン人類学教授(漁師)、パット・ディビス元港湾局コミッショナー、ロイド・ハラ・キング郡会計検査官(元港湾局コミッショナー)が挨拶を述べました。クヌーツソン氏は、大震災・津波で港だけでなく、漁師の生活まで破壊されたことに深い悲しみを表明するとともに、原発事故に言及しつつ、「二度と同じ過ちを繰り返さぬよう備えることが我々漁師や漁村で生活する人々が人生の中で学んできた知恵であり教訓であります」と述べました。

1990年に宮城県において3港との友好港調印式でサインをしたディビス氏は、調印式でのことに触れるとともに、日本との交流はシアトル港の正式な開港よりも前から始まっていたこと、日本から贈られた数千本の桜の木のことに触れ、「我々は、友好港調印の際に彼らが示してくれ友情を決して忘れてはなりません。今こそ技術支援や金銭支援等を通して、彼らが示してくれた好意に応えましょう。」と述べました。

ハラ氏は、シアトル港と姉妹港関係にある神戸港に関して、95年の阪神淡路大震災後の支援に触れつつ、今回の東日本大震災についても、技術支援や金銭支援等を通して、被災者の方々と共にいるというメッセージを送り続けることの重要性を述べ、「自身の父祖の国である日本のためにできるだけのことをやっていきたい。」と述べました。
その後、事前に出席者に渡されていたペンライトに点灯し、黙祷を捧げた後、参加者全員による詩の朗読(サフィア・フォスア牧師著、太平洋地域における洪水・地震・津波による犠牲者に捧げられたもの)を行って、式典は終了しました。